今はなきムムクラブ通信3回目
お答えします。 - 安定と信頼のマッチョ売りの少女
2025/05/04 (Sun) 10:36:57
何故、父を追放したのですか?
その時代がそうしたと言うべきだと思います。
信濃、駿河、相模、武蔵、甲斐、各国が国境線で常に小競り合、地元の豪族が寝返り、裏切りを繰り返すカオスな時代でした。
当然、信玄のオヤジも常に領土の拡張に精を出していました、ところが家臣団は続く、いくさ、イクサ、いくさに疲れ果てて、「もう戦はいやや、信玄のオヤジは、本陣に座って命令を出すだけやろ、わしらの子分(普段はお百姓さん)減る一方や、やってられんわ。」
普通田植え、稲刈りの時期には戦はしません足軽の本業は農家ですので、ところが信玄のオヤジは関係なしに戦をしていたので、農民の不満がたまり抑えきれなくなった家臣団がクーデターを起こしました。
信玄は人的損耗をさける人道的な戦いをやっていましたから人間的には優しい人だったのではないでしょうか。敵の豪族をお金で買収したり、柔よく剛を制すではなく鎧袖一触、蛇に睨まれた蛙状態を作り、戦わずに勝つ方法で戦をやってましたから。
オヤジを殺すまでが当時の常識でしたが殺さなかっただけ親孝行だと思います。